激動の中で迎えた30周年
そして新たな価値の創造
都市ガスの天然ガスヘの転換に伴い、昭和61年(1986)、加古川工場は約16年間のCOG供給を停止。平成元年(1989)には、神戸製鋼所尼崎工場の閉鎖により、昭和36年(1961) 築炉以来1門当たり14万4千トンのコークス生産実績と1万5千回の窯出し記録を残した大浜4·5炉95門が炎を消した。翌年、尼崎工場のCOG供給が停止。また、微粉炭吹込みによるコークス需要の減少により、尼崎工場扇町コークス炉の休止を決断。平成6年(1994) 、当社発祥の尼崎の地からコークスの炎が消えることとなった。翌年の阪神淡路大震災を乗り越え、様々なプロジェクトと共に、当社の存続をかけた厳しい挑戦が始まった。
加古川工場1·2炉CDQ設備
- 昭和61年 (1986)
- 加古川工場大阪ガスCOG 圧送停止
- 加古川工場コークスセンター完成
- 社内人権研修始まる
- 加古川工場3グループ粉砕開始
- 昭和62年 (1987)
- 特定不況業種指定
- 全社累計装入炭量1億トン突破
- 加古川1・2炉CDQ設備稼働
- 昭和63年 (1988)
- 尼崎工場大浜炉窯出本数日本新記録 15.000回/門
- 平成 1年 (1989)
- 加古川工場3・4炉炉上1名体制(世界初)
- 大浜4・5炉(95門)休止
- 平成 2年 (1990)
- 尼崎工場大阪ガスとのCOG取引終了
- 平成 3年 (1991)
- 寺岡社長就任
- 国内炭取引終了
- 平成 4年 (1992)
- 扇町1炉(40門)休止
- 平成 6年 (1994)
- 扇町2・3炉(70門)休止(尼崎工場コークス炉全面休止)
- 全社累計込コークス生産1億トン突破
- 平成 7年 (1995)
- 阪神淡路大震災被災(原料炭繰り超低操業)
発祥の地・尼崎から
コークスの炎消える
合成天然ガス(SNG)事業化断念、神戸製鋼所灘浜へのコークス炉ガス(COG)活用計画中止などを背景に、大阪ガスが天然ガスヘの転換を完了する1年前の平成元年(1989) 、大浜炉を休止。一方、鉄鋼業の不況下、鉄鋼各社は溶銑コストの低減策として、高炉への微粉炭吹込(PCI)を推進。コークス使用量の大幅削減により、平成6年(1994)9月、扇町炉も休止となった。操業体制の抜本的見直しの必要性から、SNG化事業開発と同時に発足していた、余剰人員対策プロジェクトチームMAP(Man Power Project)は、雇用の確保を最重点課題として様々な対策の検討と実施を行った。
扇町炉休止式
扇町最終窯の押出し
