「目指すは日本一」
尼崎コークス工業の誕生
昭和30年(1955)、神戸製鋼所より三菱化成(現三菱ケミカル)ヘコークス製造新会社設立の打診がなされ、翌年の昭和31年(1956) 、三菱化成はこれに同意。神戸製鋼所、尼崎製鐵、三菱化成による三社協定と呼ばれる新社設立に関する覚書を締結。三社共同出資、資本金5億円、尼崎製鐵籍126名、三菱化成籍21名、新規採用5名の152名の社員、日鐵式4mコークス炉(41門)とこれに付帯する設備ー式をもって、「日本一良質で日本ーコスト競争力のあるコークスづくり」という企業目標と、「和衷協同*1」という企業理念の下、「尼崎コークス工業株式会社」が設立された。
*1 「心を一つにして、全員で力を合わせ、ことを為し遂げる」ことである。出典は中国の「五経」の一つ「書経」と言われている。
大浜炉火入れ
- 昭和31年 (1956)
- 尼崎コークス工業株式会社設立(岩崎稔社長就任 資本金5億円)
- 大浜1炉41門操業開始
- 昭和32年 (1957)
- 大浜2炉55門稼働(前半28門・後半27門)
- 大阪ガス・旭硝子COG圧送開始
- コークスクラブ発足
- 昭和33年 (1958)
- 社内報「瑞焔」創刊
- 神戸製鋼所灘浜向けコークス積出開始
- 昭和34年 (1959)
- 資本金10億円に増資
- 大浜3炉10門稼働
- 昭和36年 (1961)
- 資本金15億円に増資
- 大浜4炉80門稼働
- 研究所完成
- 昭和38年 (1963)
- 大阪ガス資本参加
- 昭和40年 (1965)
- 神戸製鋼所・尼崎製鐵合併
- 大浜5炉15門稼動
歴史を動かした男達の絆
昭和30年(1955)当時、神戸製鋼浅田社長は、神戸製鋼は鉄に徹し、化学部門は外部に委ねたいと考えていたところ、偶然訪問した三菱化成長谷川取締役販売部長と意気投合。コークス製造新会社設立を打診した。三菱化成は戦後の自社事業開発に注力していたため、他社への協力には否定的で、長谷川氏は首脳陣の説得に数ヶ月を要した。浅田社長は無条件で全てを長谷川氏に委ね、翌31年(1956)、二人の深い信頼関係が歴史を動かすこととなった。さらに、コークス製造過程で発生するガスを都市ガスとして大阪ガスに供給。これには、三菱化成柴田常務と大阪ガス四角副社長の親友関係が大きな力となった。
神戸製鋼所 浅田社長(当時)
三菱化成 柴田常務(当時)
三菱化成 長谷川取締役(当時)
大阪ガス 四角副社長(当時)
引継式で岩崎社長挨拶
